環輝とバイオリンと昔の話

騎ノ風市民ホール。騎ノ風駅の西に新たに設置された西騎ノ風駅にある。ここでは時折落語家や音楽家が講演会や演奏会を開くのに利用されている。
このホールを利用するのはプロだけではない。きょうはバイオリンの演奏会が行われる模様である。
今日の演奏者はなんと環輝であった。
環「なんでこんなこと引き受けちゃったんだろ。研究以外で人前でたくないのに・・・」
環輝はこう見えて研究以外で人前に立つのがあまり好きではない。元々の性格がそういうタイプだからである。
環「まあすぐ終わるだろうし、ちょいちょいと演奏してくるか。」
そう自分に言い聞かせ舞台袖へ。その後ろ姿は少しばかり緊張しているようだった。
騎ノ風市民ホールには2000人近い数の人間が集まっていた。流石の彼女もこれは予想外だったようである。
環「なんでこんなに人がいるのよ・・・おまけにあそこにいるのって愛麗たちじゃ・・・」
環輝が見つめた先にはなんと友人の咲彩と凛世と愛麗、更に水萌と和琴と苺瑠・・・学校の知人が6人も来ている。
咲「アンちゃんのバイオリン楽しみだね。」
麗「あいつがこんな特技持ってたなんて知らなかったわ。」
水「研究してるか食べてるかだもんなあいつ。」
和「隠れた才能ってやつかしら?」
姫「誰にでも特技の一つや二つあるものだろう。ちなみに我は落語とカルタ取りが得意なのだ。」
凛「あ、そろそろはじまりますよ。皆さんお静かに・・・」
楽しそうに話をしている6人をしり目に環輝はこう思っていた。
環「(誰よあいつらに今日私の演奏会があるの教えたのは・・・あ、そうか。ポスターを騎ノ風市中に貼ってたんだから気付かない方がおかしいか・・・だけどまだまだ上手く弾けないし出来れば見てほしくなかった・・・)」
ス「花蜜さん、そろそろステージにお願いします!」
そんな思考を巡らせていた彼女を現実に引き戻したのはこのホールの運営スタッフだった。
環「あ、はい。仕方ない行くか・・・」
半ばあきらめたように愛用のバイオリンを持つとステージに向かった。

環輝はステージに上がると一礼し、バイオリンを構えた。
環「(さて・・・演奏を・・・)」
一呼吸置くと、バイオリンを弾き始めた。その音色はプロも顔負けの素晴らしい物であった。
凛「素敵な音ですね愛麗・・・」
麗「そうね・・・あいつのこと少し見直したかも。」
水「まるで心が洗われるようだな・・・」
姫「普段洋楽は聞かないのだがたまにはいいな・・・」
咲「ねえ、この演奏終わったらアンちゃんのところ行かない?」
水「あいつのところ行ってどうするんだ?」
咲「アンちゃんの演奏会の打ち上げ会しようよ。きっと喜ぶよ。」
麗「演奏会でギャラでるだろうしアンに奢ってもらいましょ。」
和「悪くない提案じゃない。さすが神宿。」
水「お前ら・・・黒いな・・・」
同じ頃ステージに立っていた環輝は寒気のようなものを感じていた。
環「(なんか寒気が・・・まあいいわ、音がぶれるし演奏に集中・・・っと。)」
環輝は寒気を振り払い、演奏を続けた。バイオリンの音は素晴らしく、演奏会は大成功で幕を閉じた。

その後、演奏を終えた環輝はステージを降りて舞台袖から出てきた。
環「あー疲れた・・・帰ってねよ・・・」
咲「アンちゃんお疲れ様。」
環「わっ・・・なんだ咲彩じゃない急に声かけないでよ驚くじゃん。それに愛麗たちまで・・・終わるまで待ってたの?」
姫「そうなのだ。」
麗「環輝はこの後なんか予定あるの?もしなかったら打ち上げでもしない?」
環「そうね・・・この演奏会で3万円ギャラでたし、アンのおごりでなんか食べに行く?」
和「いいの!?」
水「おい・・・本当にいいのか?」
環「いーわよ。あんたたちが金だけでアンを切り捨てるような奴らじゃないことは分かってるし。店どこがいい?」
姫「アン君がいつも言っている行きつけの店があっただろう?あそこはどうなのだ?」
環「あそこね・・・いいわよ。それにあそこならバイキングだから1人2000円で食べ放題だしお得よね。」
和「決まりね!花蜜、道案内お願いね。」
環「任せなさい!一度行った場所は忘れないし!」
水「(アタシ言える立場じゃないけど環輝にたかる気満々だよなこいつら・・・)」
水萌だけはは心の中でそんなことを考えながらも、バイキングに釣られてついて行った。

環輝の案内でやってきた店に入ると、近くにやってきた店員に声をかける。
環「そこの貴方、今日は2000円バイキングコースを7人分お願い。」
店「あの・・・もしかして環輝お嬢様ですか・・・」
環「そのまさかだし。」
店「環輝お嬢様・・・今日はお引き取り願えませんか・・・もう食材がなくて・・・」
環「アンの言うことが聞けないわけ?それともこの店はアンだからって理由で追い返すような店なの?もし追い返すんだったら店のドア前に花蜜環輝はお断りって書いておくはずよね?」
店「それは・・・」
環「いいから席に通せし 。それとも・・・この店のこと訴えた方がいい?」
店「分かりました・・・どうぞ・・・(ああやってしまった・・・明日店長に説教される・・・)」
環輝たちは店員に7人がけの席に通してもらった。
麗「アン、あんなことしていいの?」
環「いーのよ。だってこの店の常連だし。」
姫「常連でもやっていいことと悪いことがあるのではないか?」
環「苺瑠、さっきの店員はあんなこと言ってたけどこの店は・・・」
咲「この店は・・・?」
環「ウチのバカ親父が経営してんのよ。従業員共も小さいころのアンにサービス残業を強いっていたバカ親父の元部下だし。」
麗「へえ・・・そうなのね。」
凛「花蜜さんのお父様ですか?だけど、お父様は家電メーカーの経営者じゃ・・・」
環「親父はね、男の子供を欲しがって男が生まれないとかいう理由で結婚と離婚を繰り返してたの。おまけに男を産まない奥さんたちに男児を産めないお前らはゴミとか散々言ってたわ・・・今じゃバツ7のどうしようもない馬鹿男よ。結局会社も維持できなくなって倒産したわ。」
姫「うわ、正直引くのだ・・・」
和「ということは花蜜には異母姉妹がたくさんいるって事よね?」
環「その通りよ。おまけにバカ親父が養育費を払えなくなって自己破産したから、将来は研究者のアンが全部の異母姉妹の面倒を見なければいけなくなるの。こうでもして憂さ晴らししないとやってらんないからこうやって親父の店に時々やってきて食べまくってんのよ。」
麗「だけど、アンの異母姉妹達は何も悪くないんじゃないの?」
環「うん、悪くない。だから最終的には適性があれば私の研究所の職員とか事務員にでもするつもりだし。っていうか会ったことすらないし。」
水「そうなのか・・・だけど、今の話にはおかしなところがあるぞ。なんで自己破産したアンの親父が飲食店を経営してるんだ?自己破産したんなら銀行だって金を貸さないだろうし、そこの所はどうなってんだよ。」
環「この件に関しては市役所がバカ親父の扶養を環輝に頼んできた事があったんだけど・・・和琴にはカウンセリングでこのこと話したっけ。」
和「ああ、この前相談に来てくれた時の話ね。」
環「そうよ。アンは親父を扶養したくないから拒否したんだけど、そしたら収入源としてこのお店だけは取られずに済んだみたい。騎ノ風市はそういう所甘い・・・というか優しいからね。」
咲「だけど、家電メーカーの経営者が飲食店を出すなんて珍しいことだよね。」
環「調子に乗って出したみたい。多くの経営者が飲食店をやってるんだから俺にもできる!みたいな考えで。」
和「あんたの親父中身がない男ね・・・」
環「でしょ~?最悪の親父だし。実際アンも会社で無理やり働かされていたからその恨みで会社のコンピューターをハッキングして親父がやっていた悪行をネットにばら撒いたのが一番の原因かもしれないけどね~。」
麗「結局あんたも一枚かんでたのね・・・」
環「女の恨みは怖いって言うでしょ。つまりそういうことだし。」
姫「だが、アン君の父親がやっていた家電メーカーの商品って今でも出ているような・・・」
環「ああ、それは母さんが自分のIT会社に家電部門を立ち上げて親父の会社を吸収したの。会社名もエストラルアドバンスって名前に変えてさ。」
姫「そういえばアン君の母親のIT会社はモバイル事業にも着手するそうだな。」
環「そう。名前はエストラルモバイル。新しいスマホの形を求めることを常に目標として・・・いつかはスマホのシェアトップになって見せる!・・・って母さん言ってたわ。」
和「だけど、iosの方はないんでしょ。あたしios使ってるからなぁ・・・」
環「それは大丈夫よ。母さんの腕を見込んで向こうが契約結んでくれてね、iosの方も取扱いするって。」
咲「信じられない・・・そんなこともあるんだね。」
水「滅多にないことだろうからアンの母さんは技術者として相当優秀なんだろうな。」
環「まあそんなところよ。さ、時間無くなっちゃうからたくさん食べるわよ。料理持ってくるから待ってて。」
姫「あ、我も手伝うよ。環輝君だけじゃ持ちきれないだろうし・・・」
水「アタシも行く。自分で食べるもんは自分で選びたいもんな。」
3人で相当な量の料理を持っていった。それを遠巻きに見ていた店員は環輝たちの食欲に恐れをなしていた。
店「(勘弁してくれ・・・そんなに持っていったら他のお客さんの分が・・・)」
店員は何も言えずにその場で頭を抱えるしかなかったのだった。

環輝たちが料理を持ってきてしばらく食べ進めていると、唐突に和琴が口を開いた。
和「ねえ・・・そういえば生泉って最初のころ花蜜と付き合ってなかったっけ?」
麗「アンと?」
環「その話?まあ確かに最初は愛麗と付き合ってたけど・・・」
水「凛世に略奪されたんだっけか?」
環「ちがうわよ・・・っていうか愛麗と凛世とアンは幼馴染なの。昔からの腐れ愛。」
咲「そうだったんだ。私とみなちゃんといっちゃんも同じ感じだよ。」
水「家近いもんなアタシらも。」
姫「うむ。あの頃はまだ健康体だったから楽しかったのだぁ・・・」
和「それで、3人はどんな関係だったの?」
麗「昔よくあたしが作ったお菓子を2人よくふるまってたわ。」
凛「愛麗のお菓子昔から美味しいんですよ。」
姫「そうなのか。愛麗君のお菓子は我も好きだよ。」
咲「らっちゃんのお菓子は美味しいだけじゃなくて見た目もこってるよね。」
環「ただ、愛麗のお菓子がアンと愛麗の破局を招いたようなものなんだけどね。」
凛「私が京都に一時転校した時にすごく関係が進んだって言ってましたよね・・・」
麗「アンは甘い物嫌いだったもんね・・・」
環「昔凛世が一時転校した時、こんなことがあってさ・・・あの頃は愛麗が凄い落ち込んでて・・・」
環輝は昔の事を懐かしむように思い出を話しだした。

~回想(小学4年の頃)~
麗「・・・・」
環「愛麗、いつまで落ち込んでんの。凛世だってすぐ戻ってくるって言ってたでしょ。」
麗「もうあたしには何もないんだよ・・・髪は切られるし、凛世は転校しちゃうし・・・」
環「そこまで言わなくたっていいでしょ!あんたにはアンがいるし、咲彩たちだってあんたのことずっと心配してんのよ・・・」
麗「・・・それならあんたがあたしのお菓子食べて。」
環「え・・・アン甘いもの駄目だし・・・」
麗「そっか・・・環輝にとってのあたしなんてそんなもんよね・・・」
環「ああもう分かったわよ食べてあげるから出せ!」
麗「うん・・・はいこれ。」
愛麗はクッキーの入った袋を環輝に渡した。
環「アンだって甘いの食べられるんだから~!」
環輝は思い切って、クッキーを丸ごと一枚口に入れた。
環「うう・・・(甘い・・・気持ち悪い・・・もうやだ・・・)」
麗「アン・・・」
環「愛麗・・・アンやっぱり甘いの苦手だわ、もうだめ。」
環輝はそう言うとその場に倒れてしまった。
環「アン~!起きて!起きてよ~!」
甘さに気持ち悪さを感じ、倒れてしまった環輝を愛麗は介抱し、その後何とか意識を取り戻したのだった・・・

環「ま、こんなことがあったってわけ。」
麗「今思い出すとあたし凛世がいなくなってどうかしてたのよね・・・」
咲「あの時のらっちゃん、本当に元気なかったよね・・・」
水「だけどアンがさっきの話の行動をしたおかげで元気になったんだよな。」
麗「うん・・・」
和「それで生泉と花蜜は付き合い始めたんだっけ?」
麗「あの時は凛世にもう二度と会えないと思ってたから・・・」
環「だけど、付き合っているうちに愛麗のお菓子が食べられなかったおかげで良く喧嘩してさ・・・それでアンの方から身を引いたんだし。凛世も結局すぐ戻ってきたし。」
凛「なんだか私のせいでごめんなさい・・・」
環「まあいいわよ。さ、昔の話はこの辺にして・・・この店の料理好きなだけ飲み食いしていいわよ。食材の負債どうせバカ親父に行くんだし、店を潰しちゃうぐらいの感覚で行っても全然いいわよ!」
水「おっし!もっと食べるか!」
咲「私も・・・」
麗「凛世何か食べたいものはある?」
凛「天ぷらが欲しいですね。あ、私は飲み物を取ってきますね。」
和「あたしはホットコーヒーがいいから自分で取ってくるわ。」
姫「うむ、なら我は気になっていた自分で作るラーメンを作りに行くか。」
その後、環輝たちは食べ放題の料理が無くなるまで飲み食いした。次の日に出勤した環輝の父親は、自分の店に環輝がきて特に環輝と水萌が食材のほとんどを食べつくしたことに頭を抱えることはめになったという・・・